農民画とは


農民画の始まり
 中国の農民画には3度のブームがあり、1950年代の大躍進政策のころ、江蘇省北部のピ で起こったものが最初のものと言われています。この時のブームは「全民詩画運動」に乗って全国各地に飛び火しました。
 2度目のブームは70年代にシャン西省戸県で起こりました。勤勉に働く農民や科学的な近代農業、豊作を喜ぶ農民たちが描かれた戸県の写実的な農民画は、農業振興や新農村建設といったプロパガンダを掲げていた文化大革命と合致したのです。これによって全国各地から美術指導者たちが戸県を訪れて学習し、再び全国各地の農村で農民画が描かれるようになりました。


初期の農民画。これは金山のもの。












金山農民画
 上海郊外の金山でも大躍進政策の影響を受け、一部の農民美術愛好家たちが筆を取り始めていましたが、当時の農民画は各自がめいめいに描いている状態でした。しかし、文化大革命によって状況が一変します。
 まず、労働改造で一流画家たちが都市から金山に下放されてきました。これは画家にとっては悲劇でしたが、一流画家から美術の基礎を直接学ぶ機会を得た金山の農民たちにとっては忘れられない出来事となったようで、今でも多くの農民画家たちが当時の下放画家たちを慕い、尊敬しています。
 また、戸県農民画の成功を受けて、組織的に農民美術を指導する農民画学習班も金山に成立。絵画指導のための人材も農村にやってくるようになりました。 なかでも1972年に金山にやってきたウートンジャン指導員は、その卓越した指導方法で、後に「金山農民画の創始者」と言われるようになります。なぜなら、彼こそが模範とされていた戸県農民画のスタイルを打ち破り、構成の破壊と鮮やかな色使いを特徴とする金山農民画のスタイルを確立させたからです。


ウートンジャン先生(左)と私。2009年4月。











 金山農民画の特徴は平面的な構成です。透視法で描かないので人物には鼻すらありません。また、民間の刺繍の配色を参考にした色使いも鮮やかで、見た目の色にはこだわっていません。
 金山農民画は1980年に中国美術館で展示が行われた後、ベルギー、アメリカ、香港、日本などで各国で展示が行われ、たくさんの農民画家が育成されました。その中からは1996年にユネスコから第一級民間芸術家として認定された張新英さんや、1998年に世界最長の農民画を描いてギネス認定された陸永忠さんなど、国際的に著名な画家も輩出されています。                                
 現在、金山農民画院は国家文化部より「5つ星画廊」「中国農民画の郷」と称せられ、金山農民画は上海市政府の「非物質文化遺産」に認定、20名の画家が金山農民画師として認定されています。


1980年代、絵を習う農民画家たち(写真提供;陸永忠氏)











金山農民画の成立過程(※著者研究結果による分類)

金山農民画

時代背景

(1)1950年代後期;

陳富林ら農民美術愛好家の存在

大躍進政策

(2)1970年代;

程十発、韓和平ら下放画家による指導と啓蒙

文化大革命

(3)1970年代;

ウートンジャンによる人材発掘と指導育成

「金山農民画」のスタイル確立

(4)1980年代;

中国美術館展覧会をきっかけに世界進出

改革開放


 






農民画村・農民画院への行き方
農民画研究